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Kpanduのガーナ人から聞いた話、やはり書かずにはいられない。私が赴任する前にいた各国のボランティアたちの噂話の数々のうちの特に有名な話。
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谷に車を落として、校長先生に頼んで車を引っ張り上げてもらったイギリス人 |
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教会の塔からビスケットを撒いて、すぐ帰国したアメリカ人 |
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3ヶ月しか居なかったカナダ人女性 |
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ガーナ経済の悪化、物資不足で途中帰国した、オランダ人とインド人 |
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一日中酔っ払っていて、終いには校長の車の前に飛び出したフランス人 |
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授業も夜の見回りもさぼらず、2年間は確実に帰らず、実験器具などのプレゼントもある日本人(でも、英語ができない。) |
日時は前後するが、、、
4月10日、パトリックという20才のフランス人がガーナ人に連れられてわざわざ山の上の我が家まで来た。「ボンジュール」。そのガーナ人に、フランス人の先生がBHC(私がいた学校の略称)にいると聞かされたという。私のどこがフランス人だ。毎日チャイニーズと言われているのに???????
まあ、とにかく家に入れた。この暑いなか、あの坂をわざわざ登ってきたのだ、トーゴからの長旅で疲れているようだし、追い返すわけにはいかない。
彼は、ブレストに近い港町の生まれで木工職人。去年の6月に西アフリカに来て、フランス語を公用語としている国を一人で旅していたそうだ。あれほど典型的なフランス語なまりの英語は、初めてだった。cheap->shipに聞こえる。hotelはもちろんOtel。
つまり、安宿は、「shipotel」に聞こえる。 フランス語圏のトーゴやアイボリーコースト(象牙海岸)では、大勢のフランス人に会えただろうし、お金を出せば旅の疲れを癒す高級ホテルだって、レストランだってある。ガーナでは、、、、(1985年現在の話、今では立派なホテルやレストランがいくつもある。)
前日作ってとってあった、取って置きの肉じゃがとパンとオレンジを食わせて泊めてあげた。
肉じゃがは特に気に入ったようで、「うまい」を連発していた。いい奴だ。気に入った。貴重な醤油を使ってのたまにしか作らない日本食だったが、他に客に出すものがなかった。
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| 一宿一飯の恩義のため、マリ共和国のTeaを私のキッチンで煎れるパトリック |
彼のようなバックパッカーには、その後アクラであった。彼は、スウェーデン人でアメーバ赤痢のため劇やせしていた。彼とは、半日一緒にいただけだったので名前も憶えていないが、アフリカの音楽が好きで特に、民芸品店での彼のドラミングはガーナ人よりうまいんじゃないかと思うぐらいの腕前。ガーナ人と掛け合いで演奏したが大したもんだった。スウェーデン人で、よくあれだけできるもんだと感心。
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乾杯!!!すっごく甘くて苦かった。
住んでた家の居間で撮影。
向かって右にいるのは、近所に住む先生の親戚の子。「JK」とイニシャルで呼んでいた。 |
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