19840727
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1984/07/27

始まり

実は、このガーナ行きが始めての海外渡航。協力隊の派遣前訓練で熱帯病について講義を受け、ガーナはたいへんだとみんなに言われ、成田を出発する時、正直言って「もしかして、帰って来れないんじゃないか」という考えを振り切れずに離陸を迎えた。途中モスクワで給油(当時は北極圏航路がなかったと思う。)、空港内で絵葉書などを買った。再搭乗の時、なぜが金属探知機がなり、機関銃を持った兵士(?)に止められロシア語なまりの英語にビビッタ。その後、フランスで一泊し、オランダへ。パリのホテルで出たお代わり自由のおいしいパンに感激し、タルタルステーキを食べたのをまだ憶えている。オランダでけっこう乗り継ぎのための時間があった。

結局、4時間遅れでオランダを発った。Ghana Airway operated by KLM の便に乗りガーナへと向かった。アクラに近づき、町の灯を飛行機の窓を通して探した。「電気がついてる」これが、ガーナに対する私の第一声だった。先輩隊員に首都の停電と断水の話を何回も聞かされてたので、安心感がどっと出た。

日本にいた時に創造していたアフリカ、ガーナのイメージと現実の差に、首都アクラに着き街をあるくと、毎日きょろきょろしていた。キリンが歩いているわけでもなく、飢えている人もいない。日本にいた時テレビで見た「アフリカ」は、そこにはなかった。

昔の私がそうであったように、平均的日本人がアフリカという言葉から想像することと言えば、キリン、ライオン、象といった動物、飢餓、遅れているという印象。日本に紹介されるアフリカの情報と言えば、自然物のテレビ番組、アフリカの飢えを救う何とかキャンペーン、興味本位の「原始的な生活をしているアフリカ人」的映画などしかない。それが、少しばかりの事実を写しているのだろうが、企画者の視点(先入観)から狭い分野しか見ていないため、見ている方は全体がそうだという錯覚に陥ってしまう。「アフリカ」をまるで一つの国のように勘違いし、その多様性に関して無知であることは、時として、人を傷つける。