むかしのガーナ
ガーナ分家頁 ジンバブエ分家頁 その他渡航記録 連絡所ログ Africa Festival 2002 リンク集 蔵書リスト 自己紹介 お知らせ

 

1984年7月27日〜1986年10月

この頁の更新日
2009/09/23
写真集を追加

私が若かりし20代の大切な時期をガーナで化学の先生として2年間を過ごしました。その時に書き溜めた日記や日本の友人に出した手紙の下書きに、現在の自分のコメントをつけてアップしていくつもりです。

今、日記を読み返すと稚拙な文章と考え方に23歳〜25歳の若さを感じます。ガーナに、西アフリカの小さいけれども歴史上重要な国について、できるだけ日記に忠実に書いていくつもりです。今読むと、疲れてイライラしている時に書いたらしく、ガーナについて批判的な表現がちらほらありますが、「私は、ガーナが好き」です。第二の故郷として頭から離れたことがなく、これからも私の中で大きな位置を占めていくでしょう。たぶん、多くの協力隊員OVが同じように感じていると思います。

日記の中で、行ったことがない人にとっては、理解できないことが多々出てくると思います。分りにくい説明や特殊な用語で意味不明な所がありましたら、掲示板で質問して下さい。よろしくお願いします。

日記から

授業ノートから 

  1. 1984/07/27-  (始まり)
  2. アコソンボ訓練
  3. 1984/10/04-   (赴任当初)
  4. 1984/10/29-   (ハマタン始まる)
  5. 1984/12/01-   (Mr. Amexo)
  6. 1985/01/16-   (Thank you, sir)
  7. 1985/02/02-      (長岡半太郎)
  8. 1985/03/16-   (暑い)
  9. 1985/05/19-   (外国人ボランティアと、、)
  10. 1985/06/17-   (23周年記念)
  11. 1985/10/19-   (Big Benは隣国トーゴに)
  12. 1985/11/07-    (ガーナイアンマジック)
  13. 1985/12/05-       (同僚と生徒)
  14. 1986/02/06-   (Torkor港)
  15. 1986/02/22-   (Jeff現る)

まだまだつづくかな?

 

  1. Upper6、物理化学問題

  2. Chemistry Advanced Level

  3. Lower6、化学問題

 

着任18ヶ月後の報告書から

  1. 日本と異なる点、特に注意すべきこと、支援経費

(補足説明)
私がいた学校は、はじめドイツのボランティアが、次にアメリカのボランティアが来たが環境が厳しく、長続きしなかった。しかし、日本人は、6代続いた。今は、ボランティアは入っていない。私は4代目であった。(初代:深井みどりさん:早歩きで有名、2代目:平木さん:バイクを持っていたらしい、3代目:畦山さん:先生方の子供たちの人気物、ギターの名手、4代目:私、5代目:会ったけど名前忘れました。6代目:?)6代目の隊員の後、後任の隊員の要請はなかった。(1992年に仕事でガーナに行ったときに、Kpanduの学校に行き、何人かの先生と教頭先生から聞いた話。)

写真集

ボルタ湖に沈む夕日

学校から見える夕日、この夕日を見ながらビールを飲んで日本を思ったりしました。

雑貨屋と豚肉屋

Kpanduのメインストリート沿いの万屋でビスケットでも買っているのでしょう。下の写真はマーケットの豚肉屋。豚肉屋だけ他の肉屋と違う部屋で売ってました。イスラム教の人たちを気遣ってのことでしょうか。

ケンケイとプランテイン&ビーンズ

すっぱい味のケンケイと甘いプランテイン&ビーンズ。自宅のテーブルの上で撮影。

村の子供達

かわいかったので撮りました。

私の送別会で歌う生徒達

生徒数700名の学校でほとんど全員が来てくれました。

送別会

手前から、教頭先生のエデュマンテ、校長のエリーザ神父、私、隣の漁村にいた高橋くん

Kpandu District スポーツ大会 大勝利記念写真

ビショップハーマンのスポーツ選手たちと記念撮影。

私は、バレーボールチームのコーチをした。バレーボールはKpandu地区優勝!!!他の競技種目も優秀な成績だった。

真ん中が校長先生、向かって右が体育の先生。私は向かって左側。着ているTシャツは協力隊創立20周年記念のもの。任期延長に伴う一時帰国したアベティフィの婦人子供服隊員(通称アベティフィのおばちゃん)から買った。

佐藤さんお世話になりました。

HoのMauli Seconday School の佐藤さんの送別会。外国人ボランティアのよしみで、同じMauliで教えているカナダ人夫婦とドイツ人夫婦も呼んで日本食。下の写真の後ろのテーブルの上に乗っている金属製の筒は、ろ過器です。私も雨水をろ過して飲んでました。


Copyright (C) 1997 - 2009, admin@azuma-home.jp all rights reserved.