2月7日(金)から21日(金)まで、ジンバブエに帰省していました。
EWEの仕事の関係でジンバブエ共和国(南部アフリカ)に赴任していたのは'93年10月から'95年11月まで。むこうから”新米マダムハラレのジンバブエ日記”と題して、生活風景をUPしたことがありました。39回にわたっての長文レスにお付き合いくださった方々、ありがとうございました。 で、あのころを思い出しながら、また企んでいる訳です。
現地友人の紹介は、省かせていただきます。だから、ご存じない方には面白くないUPになるかもしれません。質問をいただきましたら、しっかり受付けますのでお許しください...。
”新米マダムハラレのジンバブエ日記”外伝その1…
ロング・バケーション
'97年2月8日(土)晴れ
出発前夜、友人が電話をくれた。「行ってらっしゃい!今夜は眠れないんじゃない?」 彼女の予想は当たり、私は午前3時にやっと眠れた。 成田エクスプレスで空港に向かい、英国航空008便でロンドンはヒースロー空港に向かった。13時間の空の旅を終え、ヒースロー空港に着くと、今度はバスでガトウィック空港へと急いだ。
ガトウィック空港で、ジンバブエはハラレ空港行きの搭乗口を見つけた。ここまで来ると乗客の半数は黒人が占める。懐かしい空気がすでに流れている!アメリカの黒人でも東アフリカでもない。南部アフリカ独特の顔立ちの黒人の家族やカップルたちが、搭乗口のベンチに所狭しと腰を掛けている。 さっきから黒人の子供たちが、私の黄色い肌をジッと見ている。そういえばジンバブエに赴任した当初、どの人も同じ顔に見えて戸惑ったことがあった。大勢の黒人の中に身を置いたことがなかった私は、正直言って、怖さのようなものを感じたこともあった。あの子供たちは、3年と4カ月前の私のようだ。
飛行機に乗り込んだのは、ロンドン時間で7日の21時。あと10時間の辛抱だ。飛行機のゴー!というエンジン音も、今回は気にならない。まるでジンバブエが、ゴー!という音を出しながら、私たちに近づいて来てくれてるようだ。 明るい光に目がさめると、EWEがすでに起きていて、窓の下をのぞいている。いつの間にか眠ってしまったらしい。「見えて来たよ」と言うEWEの指先には、ジンバブエの大地が広がっていた。3年と4カ月前は茶色だったが、今は雨期。寝ぼけた目にはまぶしいほどの一面の緑だった。 車輪がハラレ空港に着くと、空港屋上の”WELCOME
TO ZIMBABWE”のあの文字。隣には国旗がはためくのが見える。EWEは、あ〜帰ってきた!って顔をしている。私もそうだね!って顔をした。
隊員や友人(もちろんケルン一家も含む)の送り向かいで、私たちはこのハラレ空港に、時には毎日のように来ていた。どこにでもあるようなカートやごみ箱まで懐かしい。出口に出ると、大勢の人の中からEWEがエマを見つけた。 彼女は昨年来日し、我が家に2カ月弱いそうろうしていたから、9カ月ぶりの再会だ。抱き締め合って、エマが乗ってきたホンダのアコードに乗り込む。エマの彼のベンさんは、仕事で今パナマにいる。19歳のかわいい秘書を雇って、鼻の下を伸ばしているらしい。またいつものエマの話が始まった。この車に乗って、この景色を見るのは1年と3カ月ぶりだ。感無量!
エマとベンさんの新しい家に着くと、ジンクシーとケイティが飛びかかってきた。覚えていてくれたとは、犬はやっぱり賢い。 私たちのためにエマが用意してくれた部屋は、1階の10畳ほどの部屋。寝心地のよさそうなベットは、すでにベットメーキングされ、シャンプ−からバスタオルまで出してくれていた。今日から11日間、今度は私たちがエマのいそうろうになる。
つづき...にしていいですか?
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