ジンバブエ分家頁 ハラレのマダム日記



 

その4…“マダム”への疑問

'93年10月26日(火)晴天


 マダムと呼ばれるようになって今日で20日目なのだが、“マダム”と呼 ばれることを手放しで喜びたくなくなってきた。このタイトル“新米マダム ハラレのジンバブエ日記”も、しゃら臭い!!と思えてきたのだ。

 こういう気持ちは6日前から始まった。その日、所長夫人のお誘いで“ロイヤルゴルフクラブ・ハラレ”という名前のとおり、ジンバブエの中で一番立派で、由緒正しいと言われているゴルフクラブへ行った。そこは、首都ハラレの繁華街からタクシーで10分。ロバート・ムガベ大統領の公邸のそばにあった。ロビーに入ると黒人のスタッフが忙しそうにチェックインの手続きをこなしていた。そして、カウンターの前にいるお客は白人ばかりだった。喫茶室に行っても、黒人のウェーターが忙しそうにオーダーをとったりしていて、優雅にコーヒーを飲んでいるのは白人だけだった。このクラブのメンバーになることは大変難しいらしい。メンバーに黒人もいるのだろうが、きっとお金持ちだったり、お役所や大企業のお偉いさんの黒人だろう(これは私の想像に過ぎない!)。独立して13年目、 しかしまだ白人がいばっているように私には見えて、気になった。

 2階の大ホールに入ると、100人はいたと思う。白人の女性と、 日本人女性が所狭しと並べられた椅子に座っておしゃべりを楽しんでいた。今日の目的である、宮内流のお花のデモンストレーションが始まるまで、もう少し時間があるらしい。所長夫人が日本人の方を紹介してくださると言うので、私は所長夫人の後について歩いた。30回はお辞儀をしたと思う。一度に30人ほどの名前を覚えられなかったが、外交官や商社マンの奥様ばかりだった。ざーます言葉の“オバタリヤン”マダムを想像していた私は、少々拍子抜けをした。思ったより気さくな楽しい“ベテラン”マダムたちだった。

 宮内流のお家元(もちろん日本人!)によるお花の活け方のデモンストレーションが大盛況のうちに終わった後(白人女性の方が興味を示した!)、街に出てお茶をすることになった。

 40代のマダムが一人と、50代のマダムが3人(所長夫人含む)と私の5人でバーバース・デバート(5本の指にはいる百貨店)の中にあるカフェテリアに行った。1時間ほどのおしゃべりの話題は、子供とお料理と、どこにどんな輸入品が売っているかだった。私には退屈な話題だった。また、夫達に申し訳なくも思った。外国で慣れない英語を使って、外国人の中で働いていると言うのに…。まぁ、これは日本でも珍しくない光景だろう。結婚後も再就職をして、結婚生活よりも仕事に生きがいを感じていた私だったから、平日の昼下がりの喫茶店やカルチャースクールには無縁だった。だから、今一つ、今三つ、馴染めなかった。

 そして今日も日本人マダムと一緒だった。「大使夫人が、日本人夫人を大使公邸にお呼びくださいましたの。朝10時からですが、ご都合の良い時間にいらして!」という“フレーム・リリーの会”(日本人夫人の有志が集まって、歓送迎会が主な目的のティパーティの会)の会長さんからのお誘いがあったからだ。ここの話題も、そう大差なかった。私と同い年のマダムが2人に、一つ年下と3つ年下のマダムともしゃべった。同じ年代の彼女達でさえ、どうもピンとこない。立派な大使公邸で、おすしやケーキを食べれたのは嬉しかったが、今一つ、今三つ、私には充実した時間とは思えたかったのだ。

    「だったらあんたは、ジンバブエの政治や経済の話題だったら馴染めたのか?」と言われると困る。そんな話題、私には難しすぎる。私って強調性のない人間だったろうか?それとも、これはわがままなのか?と自問自答して打ち消した。ここは日本ではないのだ!!ジンバブエで生活をしていて、フッ!感じたこと、考えたことを私はおしゃべりしたかったのだ!豪邸に住んで「マダム!」と呼ばれ、掃除や洗濯、料理をメイドに任している生活では、フッ!と感じることが少なくなるのだろうか。いや!そんなことはないだろう…。このモヤモヤした気持ちは、もう少し続きそうだ。

目次へ戻る