ジンバブエ分家頁 ハラレのマダム日記



 

       

その20…正子ちゃん   ’94年7月9日(土)晴天

 会議のため、EWEがロンドンへ出張する。6日間も帰ってこない。一日三食作らなくてもいいし、ワイシャツのアイロンがけもしなくていい。お茶漬けやパンを食べて、のんびりと過ごそう…、そんな私の独り言が聞こえたのだろうか。「隊員が一人、ずっと泊まりに来るよ」とEWEが言った。

 音楽隊員の正子ちゃんは、わが家から自転車で10分の小学校で、音楽の先生をしている。普段は、学校の寮に住んでいるのだが、ジンバブエ人の先生達との人間関係で悩んでいた。EWEの出張を知って、いずらい寮を抜け出せると大喜びしたらしい。…そういうことなら仕方ないなぁ!

 EWEが出発して、すぐに正子ちゃんはやって来た。大きなリュックを背負って、自転車でやって来た。「ごめんなぁ〜ハラレちゃん!お世話になります」という明るい声が玄関に響いた。

 東京からの出張者が持ってきてくれた、日本のTV番組をビデオで観た。「この人なんていうタレント?」「私も知らんわぁ」「栗尾美恵子さんって、可愛い顔してるんやなぁ」「明石屋さんまって、まだ出てるんやに〜」正子ちゃんは京都出身で、関西弁でしゃべる。三重県出身の私は、イントネーションが釣られ、三重弁が出てしまう。

 「いってきま〜す!」と言って、正子ちゃんは朝7時に出かける。授業が少ない日は、4時頃に帰ってきて、一緒に買い物に行ったり、夕食を作ったりした。普段は、寮の現地食を食べている正子ちゃんなので、何を作っても「おいしい!」と言ってくれる。半年ぐらい前に、一緒に美容院に行った時、「明太子とイカのスパゲティが食べたいよ〜!!」と叫んでいたのを思い出し、冷凍庫から明太子を一本出した。二人で作ったスパゲティの味は最高で、明太子を包んであったサランラップまで、きれいになめた。その気持ちは、痛いほどよくわかる。明太子を食べたのは、1年と半年ぶりなのだから。

 EWEが帰ってくる朝、正子ちゃんはまた大きなリュックを背負って帰って行った。「後で読んでな!」と言って、私宛に手紙をくれた。それには、『ハラレちゃんは同い年なので、調整員の奥さんということを忘れてしまって、久しぶりに楽しくのんびりと生活できました。残りの5カ月の任期も頑張れそうです』と書いてあった。

 私は、現地の先生と同じ条件で、たくましく働いている彼女達が、とてもうらやましかった。でも、外国人が現地の人々の中に入って働くことの厳しさを、彼女を通して知った。言葉の壁・習慣の違い・ライバル意識・ねたみ…。しかし、いくら愚痴をこぼしても、翌朝は学校に向かって元気にペタルを踏む彼女は、とってもカッコいい!!他の隊員のように、彼女も帰国する時には、つらかったこと悔しかったことなど全て忘れて、名残惜しく日本に帰るのだろう。そうなれるように、あと5カ月踏ん張ってほしい。

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