ジンバブエ分家頁 ハラレのマダム日記
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その15…多国籍パーティ
’94年1月29日(土)晴天
自転車通学は、3週間もたなかった。中高校の6年間を自転車通学で鍛えた私の足は、今はただの太い足でしかなかったようだ。またこの国は、自動車優先の国なので、青信号を確認して横断歩道を渡っていても、右折してくる車が乱暴に私の前を通り過ぎる。だからEWEのご好意に甘えて、毎朝、学校に寄り道してもらうことにした。帰りは、近くのマーケットで買い物をして、タクシーで帰ってきている。10分乗って、15ジンバブエ・ドル(約200円)。
家に帰ってくると11時半。昼の支度をしていると、12時半過ぎにはEWEが帰ってくる。最近の昼の話題は、クラスメートや先生のことばかり。モザンビークは、イスラム教徒が多いし、一夫一婦制ではないので、奥さんを大勢持っている人が多いらしい。そんなことを誰かがちょっとしゃべると、クラスは大騒ぎになる。そんなことを毎日聞かされているEWEは、クラスメートの名前と出身国、そしてどんな性格かを無意識のうちにインプットしてしまった。そうなると、ご本人に会ってみたくなる。「みんなをうちに呼んだら」とEWEが言い出した。
翌朝みんなに話すと、とても喜んでくれて、あっという間に、日時と誰が何の料理を作るかが決まった。
当日の午後2時、校門までEWEと車で迎えに行った。クラスメート6名はすでに集まっていたのだが、先生がまだだった。学校では時間にとても厳しくて、休み時間が終わると、少し怒った顔をして、喫茶室まで呼びに来るほどなのに…。10分遅れた先生に、この時とばかりに、みんなで冷やかした。
わが家に着くと、ビールで乾杯をして、日本から持ってきた小さなアルバムを見せた。中でも、私たちの結婚式の写真と、新幹線の絵はがきに話しが集中した。授業の時もよく感じることなのだが、みんな日本にとても興味を持っている。次から次へと質問が矢のようにやってくる。しかし今日はEWEがみんなの質問に答えてくれるから楽だ!
ブルンディのブクルは、ブルンディ風オムレツを持ってきてくれた。ナミビアのシリンダは、ナミビアのサラダを。モザンビークのジョージは、ブラジルのマウラお姉さんと共同で、主食のサザ(とうもろこしの粉を熱湯で溶いて、シチュウをかける)を作ってくれた。先生はベジタリアンということで、干しぶどうの入ったサラダを作ってきてくれた。ときどき台所にやってきては、汚れたボールやお鍋をせっせと洗ってくれた。私は、ちらし寿司と味噌汁を作った。以前、授業中に日本料理について話したとき、ライスに砂糖を入れるなんて、と信じてくれなかったからだ。
モザンビークのヒジノとエレネストは、最後まで台所には一歩も入らず、応接間のテレビで、アメリカのプロレス番組を観戦していた。モザンビークは、とくにイスラム教徒の男性は、食事を作ることは女性の仕事だと思っているらしい。みんなで働いているのに、と始めは不満だったが、そういうお国柄なのだから仕方がない。違いがあって当たり前、その違いを理解してこそ良い友達になれるのだと、わかったことが今日の大きな収穫だろう。
夕方6時過ぎ、みんなで一つの食卓を囲んだ。食前の祈りを全員ですることになった。イスラム教徒のヒジノは、ポルトガル語でアラーの神に祈りを捧げた。
ヒジノ以外は全員がキリスト教徒だった。自分の国の言葉でお祈りをして、でも最後はやはり「アーメン」がつく。そのアーメンはみんなで声を合わせた。世界のあちこちからやってきた人々と、同じ時間と空間を共有している。そう、同じ釜の飯を食べたのだ。そのことにとても感動してしまった。
夜9時、EWEと車で、一人ずつ家まで送って行った。帰り道、星がいつもよりたくさん、そしてきれいに見えたように思えた。